>>最新書き込み


2007年09月14日

近藤真彦 2足わらじで真っすぐ走行

こんどう・まさひこ 歌手、俳優、レーシングチーム「KONDO RACING」社長兼監督。1964年7月19日、神奈川県生まれ。43歳。80年、「スニーカーぶる〜す」で歌手デビュー。「休みが仕事の集中力を生む」が持論で、オフには自転車やジョギング、ゴルフにも取り組む。3年前、ジェットスキーで走行中、ゴムボートから転落した小学生を救助。「名前を言わずに東京に戻ったが、すでに会社には知られていて驚いた」ことも。8月31日放送の「内田康夫旅情サスペンス岡部警部シリーズ」(フジテレビ系午後9時)に主演。






【経営者と監督業「すっかり板についた」】

 今年6月、マレーシア・セパンで行われたカーレース「SUPERGT」第4戦。監督を務めるチームが大輪の花を咲かせた。


 「予選は14位でしたが、それは予定通り。10位以内に入ると、もう一度別の予選を走らなければならないルールで、新しいタイヤを使わなくてはならなかったので…」


 テスト走行では猛暑や路面改修によるタイヤの摩耗を冷静に分析し、他チームの情報も収集。車への負担に最大限配慮しながら決勝に挑んだ。


 レース当日、路面温度は50度近くまで上昇。読みはピタリとあたった。19周目からリードを奪った車は全54周を走り抜き、トップでチェッカーフラッグを受けた。


 「僕の作戦なんて、まだまだ子供」と謙遜するが、モータースポーツ関係者は「すっかり監督業が板に付いた」と舌を巻いた。


 レースを始めた当初は、“芸能人の道楽”と揶揄(やゆ)された。8年前、チームを設立したときでさえ、周囲の目は冷たかったという。


 「エンジニアは有名大学の理工系出身。タイヤ交換をするのは威勢のいい奴。どちらも自己主張が強い。そんな彼らが『歌手だぜ、大丈夫かよ』って態度でね。最初は僕の言うことなんか聞いてくれなかった…」


 しかし、そんな彼らの目の色が変わるのに、そう時間はかからなかった。“雇われレーサー”として活動した20年、一般選手と同様にギャラ交渉をするなど、さまざまな“下積み”を経験した。そのキャリアが本物であることに、スタッフはすぐ気付いたのだ。


 「僕の指示を聞いて、彼らもつじつまが合うんですよ。『えっ? この人も同じこと考えていたの?』って具合に。そんなスタッフたちが、いまの僕を支えてくれているんです」


 チーム設立のプロジェクトがスタートしたのはバブル崩壊後。スポンサーの撤退が相次ぐ中での船出だった。


 「時間を空けると、元には戻せない世界。なるべくリスクが少なくなるよう工夫しましたよ」。ここで経営者として力量も培われた。


 レースと同様、スタッフ間の意思疎通にも細やかに気を配る。問題が起きると、ひざを付き合わせて相談に乗る。


 「『パーフェクトな人はいない。あなたには素晴らしいところがあるけれど、悪い部分を理解する気持ちもなければチームはうまくいかない』なんて諭したりしてね。ときには、工場(現場)と会社に挟まれてサンドバッグみたいにたたかれることもありますよ(笑)」


【今もファンから「かっこいい」】


 その一方で、歌手としての活動にも手は抜かなかった。90年代は94、99年を除く毎年、シングルを発売。ただ、チームを設立した99年以降はレースに専念した。「(カーレースで)コケたら、僕のわがままを聞いてくれた所属事務所に申しわけなくてね」。チームが軌道に乗るまで芸能界の仕事は控えた。


 芸能生活25周年を迎えた05年、ソロとして7年ぶりの新曲『挑戦者』を発売し、芸能界“復帰”宣言。今年2月には2年連続の武道館コンサートを開催、チケットは完売だった。


 コンサート会場では、男性ファンの「マッチ、かっこいい」という野太い声も響く。相好を崩しながら、その声の主に向かい「本当にうれしいです」と丁寧に応じる。


 変わらぬ風貌(ふうぼう)からは、27年という時の流れは感じられない。だが、一瞬の判断ミスが死につながる世界に身を置くだけに、27年という歳月の重みは誰より当人が深く実感しているに違いない。厳しい局面をくぐり抜けてきた男だからこそ、いまもファンは「かっこいい」と声援を送るのだ。






posted by マチィ at 01:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ●近藤真彦最新情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/55221893

この記事へのトラックバック



>>最新書き込み